労使の対立 2008 4 6

 今、中国というと、チベット問題を連想する人が多いでしょうが、
中国の「今、そこにある危機」とは、労使の対立だと思います。
人民(国民)は、こう思っているでしょう。
「我々は、いつまで我慢すればいいのか。
この低賃金に。この労働環境に」と。
 こうした問題は、日本経済が成長する時も、ありました。
今から、30年前、40年前ぐらいだったでしょうか。
それは、今からすると、大げさに聞こえるかもしれませんが、
こうした問題は、国家を揺るがすほど、大きな問題だったのです。
 私が大学生の頃には、労使の対立は沈静化していましたが、
それでも、両者の間には、とてつもなく深い谷が広がっていました。
 工場の現場の班長は、私の履歴書を見て、首を傾げていました。
「なぜ、工場で働くのか。
お前のようなエリートは、家庭教師など、
いくらでも高額なアルバイトがあるはずだ」
 班長は、かつて、中学卒で「金の卵」(労働者)として、
地方から上京し、今では、この工場で働いているというのです。
 「僕は、社会の現場を勉強したいのです。社会勉強したいのです」
それでも、強い不信の目で、班長は、私を見つめていました。
 おそらく、班長の強い不信を解決するのは難しいと思いました。
まさか、あのことを言うわけにはいかないと思ったからです。
それは、大学の入学式で、学部長の挨拶のことです。
「諸君、入学、おめでとう。
君らは、明日から、もう勉強しなくていい。
君らは、勉強の天才だろう。
しかし、社会というものを知らない。
社会を勉強してきなさい。
君らには、社会勉強が大事である」
 夕方、サイレンの音で、現場の仕事は終わる。
工場の幹部は、よく私を誘いました。
「買い物に付き合ってくれ。ちょっと用事がある。
私は、君と同じ大学を卒業した。
どうだ、現場の様子は」
 幹部は、昔話をしながらも、現場の様子を聞く。
私は、「そんなに、現場の様子が気になるならば、
自分で視察すればいいのに」と思いました。
 この時代には、一応、労使の対立は沈静化していましたが、
それでも、両者の間には、とてつもなく深い谷(不信)が広がっていたのです。
だから、気楽に視察というものはできないのかもしれないと思いました。

テロとの戦い fight against terror 2005 7 11
 「テロとの戦い」とは、戦争ではありません。
そんなことをすれば、軍事産業と警備産業が儲かるだけで終わります。
 「テロとの戦い」とは、貧困との闘いです。
貧困が、テロを生み出すのです。
 人間は、豊かになれば、戦いを忘れるのです。
日本という国は、世界的に、平和な国として知られているでしょうが、
日本の歴史は、内戦の歴史でもあります。
 「内戦」や「内戦の可能性」がなくなったのは、明治時代以降です。
いや、第二次世界大戦後でしょうか。
 それまでは、戦国時代に代表されるように、
日本には、「内戦」や「内戦の可能性」が、日常的だったのです。
 そうした日本が、なぜ、平和になったのか。
いや、それどころか「日本人は、平和ボケをしている」とまで言われるようになったのか。
それは、日本人が豊かになったからです。
こうして、戦いの遺伝子を持つ日本人は、羊のように、おとなしくなってしまったのです。

















































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